田舎の学校つれづれ

NO.27「これからの暮らし方」

2011年は忘れられない年になりました。3月11日で時計の針がいったん止まり、それから生活のスピードが少し遅くなり、生きる方向角度が何十度かずれたように感じます。
私は戦後復興と共に生活を刻んできました。戦後の貧しさも高度成長も、バブルも近ごろの不況も、半世紀以上の歴史と共に生きてきたことになります。その歴史の流れは高い低いジグザグしていても、それでも一直線だったと思います。けれど3月11日でこの直線は切れてしまい、どう繋げばよいのか未だにわからず迷っています。
繋ぎたいこと―未来に残しておきたいこと―をひとつひとつ拾いながら繕っていくのかな、と考えています。
住居は人が生きていく上で大変重要です。この震災後もどこに住むか、どのような住居・住まい方にするかが復興の大きな要素をしめています。町をどう再生していくかは、そこに住む人々がどう暮らし、どのような共同体を望んでいるのか、そしてそれは未来にも続けられるものかどうか、関係者は英知を絞っておいででしょう。
「田舎の学校」の『住む・環境』講座では、農の風景、江戸東京・京都の町並み、近現代の住宅をテーマに、さまざまなところを訪れています。講師の話をうかがいながら巡っていくと、食を担う田畑と里山、祈りと祭りの場、庶民の家、商人の町、為政者により築かれた都市、など人々の暮らしが見えてきます。そこには日本の風土を活かした住まいがあり、町作りがあります。
私が幼少時に過ごした吉祥寺の街には、まだ畑や雑木林がありました。家の前の畑に崩れかけたお稲荷さんがあり、脇には立派な椿の木がありました。そこは絶好の遊び場で、祠に足を掛けて大木に登り周囲を見回したものです。なぜそこに祠があり椿があるか、その意味は秋山好則先生と里山の樹木観察時に学びました。その祠もいつの間にか畑と共に姿を消して、住宅になりました。
講座でうかがっている農家さんの敷地には、お稲荷さんがあります。家族の健康・豊作を祈ってきた歴史を感じ、心温まる思いがします。京町家を訪問すると、昭和の初めに建てられ、育った我が家に共通する懐かしさがあります。木材・土壁・廊下・建具など、経済や効率優先で捨ててきた物の価値を見直す機会を得ました。震災を機に、地域や人と人の繋がりの大切さを再認識し、切り捨ててきた物を呼び戻し再構築する、そんなことを考えながら歩み出したいと思っています。
(2011年11月田舎の学校代表 田中直枝)