田舎の学校つれづれ

NO.28「これからの暮らし方②」

この冬日本列島は寒さが続き、東京でも久しぶりに連続して霜や氷が張る朝を迎えています。20年前までは当たり前の寒さも、この10年の温暖化現象に慣れていた身体には堪えます。「冬はこんなに寒かったんだ」と。日本海側の豪雪、東北の被災地のことを考えて、せめて暖房に気を使うこの頃です。
あの地震から一年が経ちますが、目に見える復興ニュースがなかなか届きません。被災があまりに大きいために、取り残されていることが多いのでしょうか。やっと起ちあがった「復興庁」に期待しましょう。
しかし、福島原発禍は心に重く圧しかかって、晴れることはないでしょう。最終的に自然に還る技術が開発されない中、原子力発電はまだ神の領域だったのではないでしょうか。原子力発電のおかげで活発な経済活動と快適な生活を送っていた私にとって、原子力発電のことは忸怩たる思いがします。
東京はますます巨大化し、高層ビルがそびえ立つ地域が広がっているように思います。水平な建物は心を落ち着かせ、高層の建物は戦闘的になるとの話を聞いたことがあります。高層ビルは地震対策が取られているのでしょうが、地震の後はそれらを見上げると不安を感じます。
東京に一極集中した機能・経済・文化-これで良いのだろうかと長いこと思ってきました。そして、地方の再生に日本のこれからがあると考えてきました。
そんな時に、今回の震災です。地震で根こそぎ地域を失ったところは、歴史も文化の継承もむずかしくなるという悲しい現実があります。広がりすぎて散漫な東京に比べて、地方都市は特有な文化を育み守ってきています。今後はさらに地方が安定した生活が送れるよう、政府・行政・民間が真剣に取り組んでいかなければならないと思います。
この震災で、私の幼少時代・終戦後昭和20年から30年代前半のまだ日本が貧しかったころの生活のありようと、これから迎える少子高齢化日本の姿を比べるようになりました。これからの日本は、物質面では貧しくなりそうです。戦後は日に日に食料も豊かになりましたが、お腹を満たせばよい状況でしたから、肉は高級品でしたし、野菜は旬のものしかありませんでした。冬は根菜類とタクアンや白菜漬け、夏にやっとキュウリ・トマトなどが食卓にのりました。
今はいつでもサラダが食べられ、野菜工場で作られたレタス類があります。こうした野菜栽培は、輸送とハウス栽培に多くのエネルギーが必要になります。食料の地産地消ができるならば、余分なエネルギーを使わなくても生産から消費、ゴミのリサイクルが地域内で回っていきます。地域の適正な人口・生活できる産業・経済活動の規模、その規模がつかめれば地域の自立が可能ではないでしょうか。問題は中身ですが、私たちが求める暮らしは、少し不自由しても健康と安全が守られるならば「よし」とする。若い人たちの発想に期待しましょう。
この震災は足元を見つめた地道な暮らしを考え直すきっかけを教えてくれた気がします。
(2012年2月田舎の学校代表 田中直枝)