NO.17「京都と江戸・東京―雑感」
『環境・住む』のテーマは、「田舎の学校」の農関連以外のもう一方の柱です。2004年から始まった京都講座は、2007年を除いて4回開催しました。「京町家」と「京野菜」への興味が動機で、その後は庭園や非公開の寺などを入れながら京の町を散策しました。何度か足を運ぶうち、千年の歴史があるこの都があまりにも奥深く、測り知れない魅力に満ちていることを知りました。寺社・庭園・食べ物どれをとってもきめ細かく人の手が入り、洗練されています。冬寒く、夏暑い京都が長いこと都であり続けたことが不思議になりますが、地形から見ると京都市は周囲を山に囲まれた盆地。市中心部は平地で、街作り・街割もしやすかったのでしょう。道も碁盤の目の様で、通り名が頭に入れば、位置関係が大体つかめます。また盆地の下は清涼な水をたっぷりと抱え、美味しい食の一端を担っています。都の長寿のわけがこの辺でもうかがえます。既に成熟し落ち着いた都市を京都には感じます。
京都市中は1864年、『蛤御門の変』の大火(どんど焼き)で焼失し、その後に職(店)と住まいが一緒なった今日の町家が建てられました。町家は夏を涼しく過すための工夫が凝らされ、火事が隣近所に燃え広がらない様に注意がなされています。戦火にも遭わず数少なくなりましたが、今に至っています。
江戸の町づくりの大きな特徴は、地形を最大限に活かして作られたことです。武蔵野台地の突端に城が築かれ、東京湾に面する東の低地・下町に町人地、西の台地・山の手に武家地と家康が計画的な都市づくりをしました。山の手は多くの河川が台地を刻み、起伏に富んだ美しい景観を作っています。この地形を取り入れて武家屋敷が建てられました。この地域には今でも多くの坂があり、坂と武家屋敷跡めぐりも楽しい散策になります。人口が膨れ上がった江戸では、東京湾を埋め立て、町人を住まわせました。この江戸も明暦の大火(1657年)で焼き尽くされ、幕府は新たな都市開発を余儀なくされました。ここから江戸は周囲にどんどん拡大していき、大都市江戸となっていきます。東京はこの江戸の骨格の上に成り立っています。
巨大化した東京で江戸を感じるのは難しいところですが、多く出版されている江戸の本を片手に歩くと、今の東京の向こうに別の顔をのぞかせます。京都に比べるとあまりにも巨大でまとまりがなく、秩序のない東京は景観も環境も芳しくありません。ただ、何もかも取り込むエネルギーの凄さを感じます。まだまだ変わる東京、都市としてどこへ向おうとしているのかを、注意して見ていきたいと思います。
(2008年11月 田舎の学校代表 田中直枝)