田舎の学校つれづれ

代表: 田中直枝のコラム

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NO.25「事務所移転」

 10月20日に渋谷から三鷹に事務所が移転しました。2001年の春、株式会社NTCというIT関連の会社に縁あって事務所を置かせていただくことになり、同年6月に有限会社「田舎の学校」として法人登録をしました。 10年間に及ぶずいぶん長い期間を快適なオフィスで安心して業務を続けてこられたこと、NTCの皆様には感謝しても感謝しきれません。十年ひと昔といいますが、その間の社会変化に驚かされます。特に事務仕事でいうと、ITやパソコン周辺の進歩、10年前は記録保存にフロッピーディスクを使っていたものが、今はUSBメモリーカードに大容量で記録できます。会社の事務処理はこと細かで、企画から会計、日々の連絡、ニュース作成と全てをパソコンで行います。2人でどうにかやっていけるのも、このパソコンとネット社会のお蔭です。
 新しい事務所は三鷹市の吉祥寺駅よりの場所で、(株)まちづくり三鷹がSOHO(Small Office/Home Office *小さな事務所をコンピュータネットワークで結んで、仕事場にしたもの)として管理しているビルにあります。
 私は三鷹市に住んで42年になります。以前にも書きましたが、「田舎の学校」の始まりと展開は三鷹と深く関わっていて、私としては出発地点へ戻ったという感じがしています。私を10年間支え続けている今泉との出会いも三鷹の農家さんです。子育てをしていた1980年代は、三鷹市でいろいろな地域・市民活動に参加してきました。それを土台に1990年から始めたテレビ関係の仕事で三鷹の農家さんに出会い、「田舎の学校」へと繋がって行きました。
 今回の移転のきっかけは、市内にある遊休農地を利用して何かできないか、という呼び掛けでした。この事務所にはNPOやネット関連の企業が入居していて、若い母親たちの話声などが時々聞こえます。渋谷の一等地にある近代的なビルとはずいぶん雰囲気が違いますが、「田舎の学校」にはちょうど良い規模と環境です。これからが本当の意味での自立で、新しい事業展開をしていかなければならないと感じています。
(2010年11月 田舎の学校代表 田中直枝)

NO.24「家庭菜園の十年」

「田舎の学校」が家庭菜園実習を始めてから、ほぼ10年が経ちます。この間、家庭菜園・野菜作りへの関心が広がり、ビジネスチャンスとして様々な業界が多様な企画や商品を出してきています。家庭菜園向きの土・肥料や栽培キットなどの資材、種苗などです。また、主に行政が区画を貸すだけだった市民農園は、民間企業が参入するようになり、施設の整った指導者付きの貸し農園として広がりを見せています。屋上緑化も、芝生や花壇だけでなく、菜園施工の需要が増え、野菜栽培の技術が必要になってきています。
   ただ、現在の菜園のインストラクターの人数と質がどうなっているのか心配です。野菜作りは、青菜などを除いては一年に一回だけの経験です。指導者になるには、何年かの農作業の経験が必要になるでしょう。
   「田舎の学校」では、この秋から「農業生産法人・三鷹ファーム」と共催で「菜園インストラクター養成講座」を開講します。そこで質の高いインストラクターが育って行くようにカリキュラムを組んでいきます。
   「家庭菜園」は、今でも学問として確立する途中にあります。「田舎の学校」が農家に家庭菜園実習の指導をお願いした当初は、農家さんにも私たちにもお手本がなく、また、東京農大の先生方の講義も試行錯誤でした。プロや専門家の農法を、素人の家庭菜園向けに応用するのは、大変だったと思います。やがて、都市農業の多種多品目栽培は、一般の家庭菜園に十分に応用できると実感しました。教室講義も家庭菜園向けの内容になり、「ゼロから始める家庭菜園実習」講座として整ってきました。
   野菜栽培は、地域や農家によって多少やり方は異なりますが、土作り・栽培管理などの基本は同じです。この頃は新聞・本・ネットなどに野菜栽培のノウハウや情報が溢れていますが、基本を大切に、学んだ知識を自分流にアレンジして試みればよいと思います。
   農家の方は「野菜の顔をよく見なさい」といいます。じっくり野菜と向き合っていると、だんだん表情が見えてきます。早く、すぐに結果を求めるのではなく、永く、臨機応変に野菜と付きあうことが大切なのでしょう。
   家庭菜園は、自分で作って自分で食べる”自産自消”です。フードマイレージからみても、好ましいと思われますが、堆肥・肥料・農薬のやりすぎや、地下水などの環境汚染にならないよう、基本をきちんと守って、楽しんでください。
(2010年8月 田舎の学校代表 田中直枝)

NO.23「遅霜・ミツバチ・自然環境」

4月になって雪が降り、遅霜が幾度もあり、「田舎の学校」の実習地でも、3月初めに植え付けたジャガイモの芽が、
霜で黒くなりました。今は元気に2番手、3番手の芽が育ち、このまま行けば例年通りの収穫が迎えられそうです。三鷹の星野直治さんから以前に伺った話で、星野さんも父上から教わったそうですが、”天候不順で遅霜のある時はケヤキの芽吹きがまばらになる”のだそうです。
一度に芽吹くと霜にやられるので、様子を見ながら分けて芽を出すケヤキの様子を参考に、農家は種まきや苗植え時期を考えたのでしょう。
この春のケヤキは少し芽吹いている個所や全く芽吹いていないところなど、いつもは美しい新緑に異変がありました。
今は揃って葉を広げています。天候不順を何時の段階でケヤキは知るのでしょうか?自然界の不思議を感じます。

昨年あたりから西洋ミツバチのオーストラリアからの輸入が減り、イチゴなど果樹農家が困っているというニュースを耳にします。
ミツバチの不足の原因は、ウィルス説・農薬説・気候変動説などありますが、はっきりしないそうです。この春から始まった「日本ミツバチ養蜂講座」に参加されている方々が、昨年はミツバチが少なく、家庭菜園のカボチャなどの受粉がうまくいかなかったと話されていました。講師の荒野さんも、ミツバチ、特に西洋ミツバチが少なくなったとおっしゃっています。ミツバチは「環境指標動物」といわれ、ハチたちが安全で安心して生活できる場所は人間も安心して住める場所です。地球環境に目に見えない変化が生じているのでしょうか?
ミツバチといえば、今はちょっとしたブームです。銀座松屋の屋上にミツバチが飼われ、その蜜を使ったケーキや料理が話題になっていますが、そのプロジェクトを遂行している田中淳夫さんの案内で2007年に屋上のミツバチを見学したことがあります。「へー!こんな所に」と驚きでしたが、このプロジェクトの目的は、HPにあるように「ミツバチの飼育を通じて、銀座の環境と生態系を感じるとともに、採れたハチミツ等を用いて銀座の街と都会の視線の共生を感じること」です。ミツバチを共通言語として街作りを、という発想の素晴らしさに脱帽です。

さて、荒野さんは3~4年前から度々ミツバチの話をするようになりましたが、そのうち飼育を始め、年々飼育箱も増え、
『日本ミツバチの12ケ月・養蜂作業ノート』を仲間と編集し、ミツバチも出荷。そして、今年はついに講師として私たちの指導をして下さることに。いつもながらの熱心な勉強・精進で、「きのこ採り」同様に「田舎の学校」にうれしい講座を提供して下さっています。せっかく日本ミツバチを飼うのだから、秋には美味しい蜜と香り高い蜜蝋が採れますように、これも自然界の安定が何より大切ですね。
(2010年5月 田舎の学校代表 田中直枝)

NO.22「江戸伝統野菜」

 日本では四季おりおりのおいしい野菜が食べられます。ハウス栽培や輸送の充実で雪国にも新鮮な野菜が届くようになりました。今私たちが食べている多くの野菜は性質の違う種を掛け合わせたF1と呼ばれる種から栽培されています。この種は病害虫に強く、形も安定し、栽培もしやすく安定した収量をえられるよう改良に改良を重ねた一代交配種です。農家は毎年この種を種苗会社から買って畑に播きます。
 一方で京野菜に代表される伝統野菜は、その品種から採種された種で栽培を行っています。地域の風土にあった野菜はF1の登場で多くが姿を消しましたが、京都、金沢、高山、山形など受け継がれて栽培されてきました。最近はそんな地域特有の伝統野菜を見直し復活させる活動も盛んになってきました。
 東京では江戸東京野菜の研究会を中心に活動をしていて、「田舎の学校」の家庭菜園実習講師の農家さんも栽培をしています。井口農園では練馬大根(タクワン用の細長い大根)・吉祥寺ウド、石井農園では馬込半白キュウリ(下半分が白くパリパリした食感で漬物に)、星野農園では寺島ナス(小ぶりナスで漬物に)、新しい教室の高橋農園ではコマツナ、亀戸大根、大蔵大根。皆さん東京の農業を支えている頼もしい方々です。
 また、旬野菜料理の酒井文子先生は江戸東京野菜を使った料理を研究し、イベントや講習会などで披露しています。店頭に並ぶおなじみの野菜はどれもおいしく、伝統野菜がより味がいいというわけではありませんが、F1の種は海外の広い隔離した場所で採種されるのに対し、伝統野菜は国内で採種されます。海外依存だけでなく国内での種の保存と採種、栽培は大切なことです。
 ところで江戸時代、武家屋敷には菜園があり、屋敷内の食料の一部をまかなっていましたが、市中の野菜の多くは江戸郊外で栽培されていました。舟や荷車で江戸市中に運ばれた後、振り売りの天秤に盛られて路地裏の町民へ届けられました。そのころ練馬区・世田谷区や小金井市はもちろん江戸郊外でした。江戸時代は人足たちが利用した一膳飯屋の他に料理屋や料亭なども盛んになり、料理の数も増え、食文化が一段と飛躍した時代でもありました。いろいろな時代小説に出てくる料理には現在の食卓の原型が見られます。「江戸東京講座」では、伝統野菜の漬物や武家屋敷の家庭菜園の光景を思い浮かべながら、町歩きを楽しんでいます。
(2010年2月 「田舎の学校」代表 田中直枝)

NO.21辰巳浜子先生と食育

食育という言葉を頻繁に耳にします。食に対する心構えや栄養学、伝統的な食文化、食ができるまでの第一次産業を含めた、総合的な教育のことを意味するそうですが、最近の造語です。2005年に食育基本法ができ、学校、地域、産業界と国を挙げての大合唱です。国が旗振りをしなくてはならないほど日本の食は不安ばかりですが、この言葉、私には少々違和感があります。
   今さら何を、ですが、「食の基本は農(漁業)にあり」、それを育むのは家庭と地域です。 40年前、NHKの「今日の料理」に出演していたことがあります。結婚前後の若い女性に料理の基本を学ばせるというテーマで、私と結婚前の若い娘さんが辰巳浜子先生から手ほどきを受けました。辰巳浜子先生は現在、スープで病人を回復する活動をなさっている料理研究家・辰巳芳子さんの母上です。
   浜子先生は、私が今までお会いしてきた素敵な人の5指に入る方です。白髪で上品、ハキハキした明瞭な語り口、大きく生き生きした瞳。明るくユーモアを交えての番組進行は、スタッフの中にもファンが多かったようです。一回目は、ダイコン一本でいろいろな切り方を教わりました。切り方を学ぶのはダイコンが一番、ネギは難しいなどの話が思い浮かびます。その他内容はほとんど忘れましたが、今でも料理をしている時に先生の声が聞こえます。野菜や魚の扱い方、四季折々の草木のことなどです。
   浜子先生著・中央公論社の『料理歳時記』は、初版が1973年、1977年に文庫版も出版されているロングセラーです。なぜ若い私が漠然と素敵な方と思ったのか、この本に答えがあります。食材に正面から向き合った料理方法、美味しさが匂いたつような表現。そこには自然への敬意、家族や自分が美味しいものを食べる喜びが感じられ、時には社会批判をちょっぴり入れて、本質を見極めたちゃめっけたっぷりの文がつづられています。作り方やレシピを紹介した料理本とは違った読み物です。ぜひ、ご一読をお勧めします。
   四季折々の食材感が薄れ、栄養価の高い料理が作りやすく、簡単に手に入るようになったことが、食への敬意をなくし、声高に「食育」を言わざるを得ない状況になりました。浜子先生の生き方と食への取り組みこそ、「食育」の基本と思います。浜子先生は何とおっしゃるでしょうか?
   私も、お会いした当時の先生の年齢に近くなりました。もっと積極的にお伺いすればよかったと、悔やまれてなりません。
(2009年11月 田舎の学校代表 田中直枝)

NO.20「天候不順―米が心配」

 雨にたたられている日本列島。梅雨のないはずの北海道も、6月から雨が続いています。東京でも快晴の夏空があったかしら、と思うほどです。  
 そうなると心配なのが、米のこと。日照不足から、米の不作が言われ始めています。1993年の冷夏による米不足のことが、頭をよぎります。翌年の春から夏にかけて、店頭から米が消えました。私は生協や「大地を守る会」から米を買っていましたが、夏には手に入らなくなり、タイ米を購入しました。でも、普通に炊いた白米としては食べられなかった。炒めたりカレーにしたり、餅やうどんを食べたり、あのような状態がまた…と思うと、気が重くなります。

 その経験から政府は米の備蓄を増やしていますし、海外でも美味しい米が栽培されるようになったので、前回のようなことはないかもしれません。何でも手に入り、美味しく安い食品が溢れている今、いったん天候不順で農作物が不作になれば、食糧の確保が切実な問題になることを、頭のどこかに留めておきたい。
 町田里山の米は、花が咲き始めました。9月には黄金色に穂が垂れるでしょう。米作りにかかわると、どうか無事に収穫できるよう、天にお願いしたくなります。
 食糧の自給率が、チーズの高騰で輸入が減ったため、わずかに上がったとか。しかし休耕田の復活・農業の再生なくして、食糧への安心感は得られません。農地法が改正になり、企業や個人などの参入がしやすくなりました。また世界との関係でいくと、WTO(世界貿易機関)ドーハラウンド、FTA(2国間・地域の自由貿易協定)で、日本は農産物と工業製品が天秤に掛けられ、取引きされます。自由貿易によって日本の農家が立ち行かなくなる不利益は、工業製品など関税による収益や税金で補填することなどが
考えられます。しかし、これは大変むずかしい問題です。私たちの生命に関わる農政を、しっかりと見ていきたいです。
 「田舎の学校ニュース」の会員レポートを楽しみにしているという声をいただきます。今回は3人の会員さんからのレポートです。
毎回古くからの会員さん、新しい会員さん、受講された講座の感想や農に関わる日頃の生活などが、いきいきと綴られています。
勝手にお願いし、快く引き受けて下さり、感謝です。私たちも大変参考になり、励ましになります。これからもよろしくお願いします。
(2009年8月 田舎の学校代表 田中直枝)

N0.19「水と暮らし」

   もうすぐ梅雨入りになりますが、かつての梅雨はしとしとと降り続き、終わり頃にざっと集中して降り、カラッと夏空になって梅雨が明ける、というイメージでした。
   この頃の梅雨や夏の雨はスコールを思わせる激しさで、短時間に集中して降ることが多くなりました。地球温暖化が関係しているようです。
   秋からの江戸と京都の講座は、水に関係するものです。川が町の中を流れている風景は心をホッとさせますし、湧水や井戸に出会うと安堵の思いがします。水のある場所に人が集まり、都を作り、水を利用しうまく制御したところは長く都が続いた歴史があります。京都は地下水に恵まれ、多くの井戸があります。江戸は台地であったため、暮らしや産業を支える水をいかに確保するかは、幕府も庶民も大きな課題でした。水運のための堀割り・飲料水のための上水、これらが機能して百万の人々が暮らしてきました。
   しかし、江戸も京都も水の歴史を大きく変えたのは、明治以降の近代化です。水路は道路や鉄道に、井戸は水道の普及へと、それまで水と寄り添ってきた生活が、水は管理するものという転換期を迎えることになりました。年配の人なら、小川や堀が埋め立てられ、いつの間にか自動車道になっていったことを思い出すでしょう。水の風景がずいぶん遠くなったと思いますが、それも環境問題から見直され始めています。
   町田里山の田んぼで米を作っていますが、稲が田んぼですぐ、力強く根を張り、生長するのを見ると、水の力の凄さを感じます。21世紀は水の世紀と言われるほど、水問題が深刻です。地球温暖化による干ばつと多雨、海のC02による汚染。そんな中で、日本は水の豊かな国です。水を大切に活用し、食文化・住文化・産業と育んできた先人の智恵を、梅雨空を眺めながら思い起こすのもよいかもしれません。

(2009年5月 田舎の学校代表 田中直枝)

NO.18「農業はブームでもファッションでもない」

 昨年の暮れから世界中を駆け巡っている不況は、私たちの生活に影響を及ぼし始め、先の見えない社会に不安が広がっています。とにかく最低の食料だけは確保しなければという漠然とした思いからか、安全な食べ物を手にしたいという思いなのか、また、雇用がありそうなのは農林業など第一次産業ということなのか、「これからは農業だよね」という会話が聞かれます。渋谷のギャルが米作りに挑戦するとか、雑誌『BRUTUS』でも農業を取上げるなど、農関連の仕事をしてきた私には、本当に驚きです。国民が真剣に我が国の農業を考えるのは結構なことですが、景気が良くなればまた関心がなくなるというような、ブームで終って欲しくないですね。
 整理しておきたいことは、農業は生業であり、人々の食料を担っているもので、天候などに左右されずにいかに安定して市場に供給できるかが重要になります。耕作放棄の田畑は増えるばかり、どれだけ農業が労働と収入とのバランスが悪く、それを補う有効な施策がとられてこなかった国の責任は大きいのです。一刻も早く、農業再生のための効果ある施策を望むところです。
市民の間でブームなのは「家庭菜園」。これは趣味の域で、家族や仲間のために野菜などを作る、それも食料のほんの一部でしかないわけですが、生物や環境を考える機会になり、農業への関心がさらに拡大することが考えられます。ファッションとして農業という言葉が踊り、家庭菜園が農業であるかのような錯覚を持って欲しくない。ただ、これが農業への理解、就農へと繋がれば素晴らしいことです。
 この春から始まった「ゼロから始まる家庭菜園実習」には若い人たちが多数申し込まれ、一気に若返りました。嬉しいことですが、それだけ不安があるのでしょうか? 若者が、いきいきと農作業などで働いている姿が見たいと願っているのは、私だけではないでしょう。
桜の開花は、今年はさらに早まるかもしれません。「サクラサク」嬉しい季節がやってくることを願うばかりです。 

(2009年2月 田舎の学校代表 田中直枝)

田舎の学校つれづれ

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