田舎の学校つれづれ

代表: 田中直枝のコラム

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NO.9「農地保全」と「家庭菜園」」

   食糧自給率の低さがわかっているのに、農地の減少は食い止められない。就農、就農と旗を振っているわりには就農者が増えない。食料輸出国だった中国が輸入国になる。大豆の高騰で豆腐一丁が千円という時が近い将来やってくる・・・ そんな不安のある農業ですが、畑の瑞々しい野菜、頭を垂れる稲穂を見ていると、「うんうん、これでしばらく大丈夫」と安直に思うこの頃です。
   国や自治体は就農のための研修や、就農支援施策をいろいろ行っています。せっかく研修を受けても雇用先が見つからなかったり、労働に見合う収入が得られないなどで、なかなか就農に結びつかない問題に直面します。さらに、政策の見直しで小規模農家の切り捨てと作物の集約化にますます拍車がかかる現状にあります。
   一方、週末になれば「田舎の学校」の畑で百名ほどの人たちが楽しく農作業をやっています。農業でなく、気楽でいつ止めてもよい趣味、気の合う仲間に会えるから楽しい。そんな畑での擬似農業体験でも、多種多品目の栽培に農地は立派に活かされています。全国の市民農園の広さを考えると、これも立派に農地保全ではないかと思います。
   都会の体験農園や市民農園、田舎の家庭菜園をしている人たちが、農作業を行う際の大切なポイントは、きちんとした指導の下で農作業を学び、農と食の安全な結びつきも学ぶことでしょう。「家庭菜園」の一番の効用は、自ら作り自ら食べる、そこからいろいろなこと、農業や食文化、生産者と消費者、などが見えてくることではないでしょうか。

(2006年11月 田舎の学校代表 田中直枝)

NO.8「「住む」の講座 京町家」

   「田舎の学校」の住環境を考える講座では、木の家や屋上緑化、ランドスケープなどの学習をしてきました。京都町衆の住居、町家を見学したく、京都を訪ねこの秋で3回目になります。何度訪れても京都の衣食住文化は奥深く、魅力に溢れています。
   戦後、日本の住居は庶民の間でも欧米型の生活と共に大きく変化してきました。畳の生活から床の生活へ、卓袱台がテーブルとイスになり、障子や襖が姿を消していきました。食生活の変化も大きいものでしたが、「住む」ことの変わり様は、生活文化の変革へ繋がりました。住居の中心はリビングキッチンになり、便利で明るくなりました。
   京町家は蛤御門の変(1864年)で京都の町が焼失した後に、戦前までの八〇年間に建築されたもので、京都の一千年の伝統と町衆の智恵をとりいれた住居です。私たちが見学してきた町家は表の棟(事業所部分)と奥の棟(住居部分)が一緒で、細長く続く土間(通り庭)のある表屋造りといわれるものです。高密度の都市の中で快適に、かつ安全に暮らすための工夫が随所に見られます。限られた敷地に中庭が配され、防災面では火事の延焼を防ぐために通り庭は吹き抜けになっており、境界は厚い土壁でできています。阪神大震災の時は建物被害がほとんどなかったそうです。今の建築法からいうと違法というのですが、私には合理性と伝統美を兼ね備えた優れた建物に見えます。
   一方、この町屋は暗くて大変寒い、段差が激しいなど、住んでいる人には苦労の多い家です。明るさと便利さからはかけ離れていて、その多くは姿を消しましたが、近頃は見直され修復保存の動きや、町家の良さを残しつつ快適に住む改築も盛んになっています。四季を大切にする京都で、町家では季節によって建具類を入れ替えます。祇園祭りまでには夏しつらえになり、襖や障子がはずされ簾や風通しの良い仕切り、網代の敷き物などに変わります。季節にそった生活は、私の育った時代と日本家屋の生活を思い出させてくれます。
(2006年8月 田舎の学校代表 田中直枝)

NO.7「里山のこれから―私たちのできること」

   里山の決まった定義はありませんが、人があまり入らない奥山と市街地の間にあり、農業を中心とした村落。山々の裾野や丘陵地で谷(谷戸)と丘からなる地形を指しています。谷戸は田んぼとして、周囲の雑木林は薪や炭、竹林はさまざまな農具・生活用品や建築材料、落ち葉は堆肥となり、日常生活になくてはならない場所として大切に管理されてきました。 日本人の原風景は四季を織り成すこの里山の風景とも言われますが、近年の都市化と高齢化で里山は荒れ、消えていく状況にあります。
   「田舎の学校」会員のOさんからご紹介された里山は多摩丘陵の一角で、60~70年代に谷が埋められ次々と団地が建設された地域です。この里山はたまたま開発を免れたところで、裏山の雑木林は保全林として下草刈りもされている美しい林です。 しばらく手を入れていない田んぼや畑を復活させるにはOさんお一人では無理があり、「田舎の学校」の実習場としての活用しながら 手を入れていき、いずれは子どもや学生の参加も、と思っています。
   郊外を列車で行くと、ススキや雑草で覆われた田んぼ跡や竹林が畑や谷戸に迫り、今にも押しつぶされそうな景色を目にします。それらすべてを元の姿に戻すのは不可能に近いですが、せめて今ある里山を保全するには、いろいろな人たちが関わり、作業を通して自然に学び、里山に受け継がれてきた生活の智恵を学ぶ、そのような活動が良いのかもしれません。
(2006年5月 田舎の学校代表 田中直枝)

 

NO.6「生活園芸と家庭菜園」

   生活園芸という言い方があります。プロテスタントで欧米の教育を受けた河井道先生が先の戦争の最中に、園芸を女子教育に取り入れた恵泉女学園を設立しました。農業ではないが、身近な生活の中に花や野菜作りを成長期の女子に取り組ませたのがこの生活園芸です。残念なことに恵泉女学園短期大学園芸科は昨年の3月で閉校になりましたが、「田舎の学校」が会員の皆様に提供している各種講座はこの生活園芸という表現にぴったりです。
   定年後にやりたいことの一番が家庭菜園という調査があり、それを裏付けるように野菜作りが盛んです。食卓を飾る程度の野菜はそこそこできても、 品質の良いものを作となると難しいものです。野菜はまず葉物、根菜、ナスやトマトなど果菜類の順に取り組むと良いと言われます。
   私は野菜作りの中に、キッチンガーデンでぜひハーブを栽培することをお薦めします。バジルやセージ、ローズマリーなど、 これらは薬草ですから、原産地が乾燥地か湿潤地かを確かめて植えれば、野菜栽培よりは管理が楽です。 日本版ではシソやミョウガ、生姜などでしょうか。これらが畑にあると料理の幅が広がる楽しみがあります。
    都会では市民農園の希望者が多いが、空がない。一方地方では休耕地がたくさんあるのに担い手がなく荒れるに任せている― こんな状況が続いて久しくなります。都市の家庭菜園希望者が気軽に地方の畑に出向く方法を急ぎ構築するのが、 官民問わず考えなければならない時です。

(2006年2月 田舎の学校代表 田中直枝)

NO.5「沿線の風景」

   「田舎の学校」の講座には遠出をするものがあります。今年は休講になりましたが、「田舎の学校」当初からお付き合いしている長野県原村の数々の講座が、遠出の始まりです。JR中央本線か中央自動車道を利用しますが、東京と山梨の県境、奥多摩の山々から笹子トンネルを抜けると、やがて甲府盆地に突入します。雪をいただいた南アルプスが目に飛び込み、盆地が終わる頃には八ヶ岳が見え、しばらくすると長野県に入ります。高低差があり、山々が続くこの車窓は、少し厳しく息を呑むほど美しい風景を展開してくれます。
   群馬県新治村(現みなかみ市)には関越自動車道で行きます。関東平野の遠くに秩父の山並みを眺めながら埼玉県を北へ縦断(それにしても関東平野は広い)すると、谷川連峰が見える群馬県に入ります。ここの風景は中央道より穏やかで、高低差もあまりありません。
   埼玉県美里と、児玉の日曜大工・木工講座には八高線を利用します。途中からは単線のディーゼル車になり、秩父多摩の山々の裾に沿って走り、沢や谷、丘陵また谷といくつもの里山を通過して行きます。電車のゆっくりした速度のおかげで里山の風景を観察でき、「旅はこうでなくては」などと仕事を忘れる一刻を楽しんでいます。寄居駅を過ぎると関東平野の田園風景へと変化し、下車駅も間近です。
   神奈川県伊勢原の講座へは、宅地化で緑が虫食い状態の多摩丘陵の間をぬって小田急線で行きます。神奈川県に入ると心なしか、空の明るさを感じ、柑橘類が目立ってくるのも温暖な土地柄を思い起こさせてくれます。
   これらの車窓は四季により変化し、それぞれに美しく、水と緑と山々の豊かな日本の風景があります。ただ、荒れた林、田畑、休耕地増加を見るにつけ、国土保全には農林業の振興がどれほど大事かを思い知らされる沿線風景でもあります。 

(2005年11月 田舎の学校代表 田中直枝)

NO.4「家庭菜園実習」

   「田舎の学校」では農業関連講座がほとんどをしめています。その中でも家庭菜園実習は教室数も多く、基幹講座になっています。農家で栽培されている作物で実習する教室と、「田舎の学校」専用の畑で受講生がゼロから始める形を取っている教室と、二通りがあります。2教室からスタートした家庭菜園実習講座も現在8教室、米、蕎麦、大豆、果樹栽培の教室を含めると農業関連実習講座は12教室となります。
   家庭菜園実習講座の参加者は、自分の庭や市民農園で野菜栽培をしている方、田舎暮らしを始めるにあたり野菜作りを勉強なさる方、また週末に畑の土と農作物に触れリフレッシュしたいという方、さまざまです。農家や仲間とのコミュニケーションの場として、何年も通われている方もあります。一年間実習に参加してみると、種まきから収穫まで野菜の育ち方や旬を大体つかめ、鍬の使い方も慣れ、柵きり・畝立てやマルチやトンネルの利用方法を学んで行きます。参加者は自宅に近い実習圃場を選ぶ方が殆どですが、圃場にはそれぞれ個性があり、私たち事務局としては幾つかの教室を経験されることをお薦めします。
   コンビニやデパ地下の溢れんばかりの弁当やお惣菜、大変重宝していますが売れ残ると廃棄されるのでしょうか?世界各地から輸入された食材が使われ、特に中国からの輸入作物の占める割合は大きく、もし中国大陸全体が今の日本と同じような食べ方をし始めると、日本の食料品は不足し、値上がりは必至でしょう。
   ソ連が崩壊し経済危機で飢え死にする人々が出るのではと思われていた時、ダーチャという家庭菜園での食材調達が大変役に立ったと聞きます。私たちの家庭菜園もいつかこんな日が来るかも知れません? 食料だけでなく、健康管理・ストレス解消など家庭菜園は私たちにいろいろ提供してくれます。地下水の汚染に繋がる肥料のやりすぎ(有機・化学を問わず)にはくれぐれも気をつけて、土作りと栽培技術を磨き、菜園を楽しみましょう。
(2005年8月 田舎の学校代表 田中直枝)

NO.3「畑でクッキング!」

   「田舎の学校」の主な講座は各種の農業関連講座。その中心にあるのが家庭菜園実習です。
農業は私たちに食料を供給し、畑が食料生産の場となります。その場をお借りして私たちは実習を行っていますが、受講生の間では収穫した野菜をどのように調理するか、よく話題になります。取りたての野菜は格別においしいのですが、これをもっとおいしく、いろいろな料理で食べてみたい!できたら収穫してすぐにその場で食べたい!「畑でクッキング」の原点はここにあります。
   そんな願いをかなえてくれたのが、星野農園です。ふだん、農園で作業をしている人たちの休憩所になっているビニールハウスには、簡単な厨房施設があり、雨風が防げ、25人は入れる。初めは不足がちだった調理器具も次第に揃い、今では大体の料理ができるようになりました。星野さんが廃品の風呂シンクを利用して作ってくれた”石焼き芋器”は冬場の菜園実習や料理教室のおやつ作りに欠かせません。「こんな所でいいの?」と星野さんからは聞かれましたが、「田舎の学校」ならではの料理教室はこの方法が一番。今では人気講座になり、リピーターも増えました。
   盛んに「食育」ということがいわれています。あらゆる国々の食べ物が輸入され、食料自給率は40%を割る現状、また季節に関係なく店に並ぶ野菜や果物、日本のこの様な”食”がおかれている状況を足元から見直そう―そんなことが契機となり、「食べること」からいろいろ学ぼうという取組みが、学校などで始まっています。良好な野外環境で旬野菜を収穫し、調理をし、食べる。「畑でクッキング」は食育を意識したことはありませんが、この試みに通じるものがあります。地産地消(地域で生産した物は地域で消費)、スローフード・スローライフ、皆同じ流れにあります。
(2005年5月 田舎の学校代表 田中直枝)

NO.2「都市農業との出会い②」

   東京都心近くで割合に農地が残っているのは、練馬区・世田谷区と三鷹市です。1964年の東京オリンピックを境に日本は高度成長期に入り、都市に農地はいらないという空気の中、宅地開発や様々な課税で農家は農地を手放して行きました。私が取材を始めた1990年頃から、農地は都市の緑としてまた、都民の台所として見直され始めましたが、相続が生じれば農地を手放すという状況は今でも変わっていません。
   農地からは作物生産だけでなく、生態系の循環・食の安全や自給率を考えたりと多くのことを学べます。農家は百姓といって、百の技を使いこなすと言われるくらい様々な仕事を創意工夫しながらやっています。農地や農家の方々は、私たち都市に暮す者がふと足を止めて携わってみたい気持ちにさせられる魅力に溢れています。
   1998年にお世話になっていたプロデューサーから、NHK文化センター・青山教室で農業講座を企画したいということで、コーディネートを依頼されました。さっそく星野直治さんに相談し、「自分もそうした教室は初めてだが、やってみてもいいよ」とのことで、星野さんの畑で実習が始まりました。半年後にやはり三鷹市の石井市太郎さんが引き受けて下さり、受講された方々に喜ばれました。それをきっかけに、農業関連・環境関連の講座を企画運営したく、2001年6月に有限会社「田舎の学校」として今に至っています。
   星野さんや石井さんのところでは多種多品目の野菜や花の栽培、人が集まりやすいという都市農家の条件を生かして、「家庭菜園実習」の他に「ハーブ実習」や「畑でクッキング」を開いています。「田舎の学校」が、都市に残された私たちとって貴重な憩いの場・農地を守っていくお手伝いができればと思っています。

(2005年2月 田舎の学校代表 田中直枝)

田舎の学校つれづれ

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