田舎の学校つれづれ

NO.26「生物多様性」

東京のこの冬は久しぶりの寒さで、12月の畑では霜柱を踏んで作業をしました。2月になって、日増しに春の息吹が感じられるようになりました。私は井の頭公園や玉川上水を歩いて、季節の移り変わりを感じながら三鷹の新しい事務所に通っています。 生物多様性ということがしきりに言われます。地球環境保全には生物の多様性が重要で、国境を越えての取り組みが進んでいます。「生物多様性条約」は1992年に作られ、現在160の国と地域が参加しています。この条約には生物多様性の保全と持続のために、発展途上国へ先進国の資金と技術支援を行うことも盛られています。
日本は世界で群を抜いて動植物とも生物多様性に富んでいます。理由として、日本列島が大陸との分断と結合の形成過程を経て、生物の侵入と隔離― ナウマンゾウやイリオモテヤマネコなど―が繰り返されたこと、南北に細長く、亜寒帯から亜熱帯までの気候と四季があること、周囲を海に囲まれ起伏に富んだ複雑な地形であること、などがあげられます。さらに、氷河期の生物絶滅を免れたことなども、多くの生き物を育んできた理由です。特に今は日本の里山が重要視されています。稲作が水環境と生物多様性を育み、農地と周辺の人々の生活が多くの生き物に暮らせる場所を提供していることなどが注目されています。
   都心を少し離れれば、私たちの周りには里山の風景が見られます。秋山好則先生と武蔵野の里山を歩いていますが、人々の生活と農をとりまく雑木林に草花。集落には必ず神社仏閣があり、そこには樹齢何百年の樹木があります。私はいつまでたっても樹の名前が覚えられない落第生ですが、この散策は心静まる大切な時間になっています(4/24に自然観察歩行会があります。8ページ目ご覧下さい)。
少子高齢化は、山村地域を疲弊させています。村おこし事業が疲弊した山村を救うことになるのか、地域再生のベンチャー起業を試みる若者たちが地域で生き続けることができるのか、未知数です。
日本の資産は優れた技術力ですが、生物多様性も世界に誇る財産です。山村に里山、日本全国にある多種多様な動植物、これらを活かした事業があちこちで生まれたら、また日本も輝きを取り戻すのでは。日本全体と各地の生物多様性文化をバラバラにして組み立てる、この繰り返しの中に光が見えるのでは、とこの頃思うのです。

(2011年2月 田舎の学校代表 田中直枝)