田舎の学校つれづれ

NO.15「昭和の家」

   この春は天候が不順で「田舎の学校」の講座は難儀をしています。これからの生活環境の悪化が気になります。
   私事ですが、昭和の初めに建てられた武蔵野市の実家が建て替えられることになりました。手を入れながら74年間持ちこたえた家ですが、さすがに傷みも激しくなりました。兄夫婦がよく守ってくれたと思います。昭和を代表するようなこの家は、母の実家が木材業だったので、長野県小諸から運ばせた材木と大工を使って建てられ、天井が高く南北に廊下があり、夏は大変涼しい家でした。夏には襖や障子がはずされ簾に替わり、蚊帳をつって寝る。入室するのに遠慮のいった書斎と客間。火鉢と掘り炬燵で暖を取っていた冬はホントに寒い。1960年代半ばまで、五右衛門風呂は薪と石炭で沸かし、トイレも汲み取り式。1964年の東京オリンピックを契機に日本中が変わりはじめた頃から、少しずつですが便利になっていきました。「行儀が悪い」「もったいない」と両親からよく注意されました。
   漆喰壁、縁側に障子、木枠のガラス戸、すべてが土に帰る今でいうエコ住宅。垣根は武蔵野に多いヒイラギ。モッコク、モチ、シラカシ、ツバキなど植木屋の年二回の手が入り、草花は母の趣味を兄嫁が引き継ぎました。取り壊しはまず庭から、門や何本かの樹木はそのままですが、白ヤマブキ、シャクヤク、テッセン、ヒトリシズカなどは我が家の小さな庭へ移しました。
   人の形成には幼年期の環境が大きく作用するといいますが、「田舎の学校」の講座企画は私が過ごしたこの時期の体験によると、結果感じています。家には手入れのためいろいろな職人さんが出入りしました。今は身近に働く人たちを子供たちが目にする機会も少なくなりました。畳や襖のない家で、子どもたちに立ち居振舞いを教えようもありません。
   文化は暮らしとともにあり変化していくものですが、昔を懐かしむだけでなく、何をどう継承していくか難しいです。昭和時代の実家は日本文化の一部を継承し、自然環境と共にあったことを教えてくれました。

(2008年5月 田舎の学校代表 田中直枝)