田舎の学校つれづれ

NO.1「都市農業」

   15年ほど前、現在の朝日ニュースターの前身・衛星チャンネルが誕生した時に、映像記者を募集していました。未経験者も応募可能ということで、友人が声をかけてくれ、私は都市農業についての企画を提出し、取材・編集をしました。
   私は武蔵野市吉祥寺で育ち、小さい頃の家の周りには畑と雑木林が多くあり、戦後日本のどこにでもある風景の中を走り回って育ちました。その時期に染み込んだものが私の原風景となり、日常の都会生活で縁がなくなっても、その風景を懐かしむ気持ちがどこかにあったのでしょう。結婚して三鷹に住み、さまざまな市民活動を通して、追い込まれた都市農業の現実をいくらか知っていましたから、番組の企画として浮かんだ一つが都市農業でした。
   三鷹の農協青壮年部は東京で一番活発と聞き、早速Hi8カメラを手に取材に行きました。三鷹ブランドのカリフラワーとブロッコリーを段ボールに詰めて、太田市場に出荷。そのトラックに便乗させてもらいました。その時の青年部長と次期就任予定の青年部長に挟まれて、夜の東京を走っている時、まったく私の知らない世界に向かうというワクワクした気持ちを今でも思い出します。その車中で、「三鷹の農家を取材するならまずは星野直治さんだよ」と言われました。
   その後、農業関連のテレビ番組がいろいろな局でも企画され、何本かお手伝いすることになり、星野さんにはそのたびに取材協力をお願いしました。無理なお願いでもいつでも快くお引き受けいただき、本当に多くのことを学びました。取材、特にテレビ関係の取材は100%の取材量に対し、実際に編集されるのは10%です。いかに情報を整理し捨てるかが、ディレクターの腕の見せ所です。捨てる情報の中には伝えたい情報も多くあり、また、たくさんの人たちとの出会いがあります。これらは私の財産として蓄積され、映像とは別な形で人に伝えたいという思いが頭のどこかにありました。(つづく)
(2004年11月 田舎の学校代表 田中直枝)