10月初めの30℃の暑さから、急に秋になりました。そのせいで我が家のヤマボウシが例年になく美しく紅葉しています。秋が短くなり、秋冬野菜の植付け・播種時期がますます難しくなっています。
20年前に、テレビ映像関係の仕事を通して都市農業に興味を持ったのが、「田舎の学校」事業を始めるきっかけになりました。農業・環境関連の社会人向けの生涯学習が「田舎の学校」の事業コンセプトですが、多くの会員さん、講師の方々との出会いを支えに事業を続けてまいりました。まず農業関連を中心に講座を組みましたが、実習指導を引き受けてくれる農家さんを探すのに苦労しました。東京・神奈川・千葉・埼玉・群馬・長野で、野菜を中心に米・麦・蕎麦・大豆などいろいろな栽培に挑戦してきました。
環境に関連する講座として、食は料理教室・山菜とキノコ採り、自然環境は自然観察会・白神山地、住は江戸東京・京都講座とおおよそ分けられます。食べること、住むことを辿っていくと、必ず水―湧水・川・運河―につながります。水辺の風景を歩くとホットしますし、ありがたいと思います。さらに食べることと住むことは絡み合いながら生活の根幹をなし、それを支える環境や農を疎かにしてはならないと、講座を通して学んできました。
先日、秋田の友人からキリタンポ鍋セットが届き、親類で鍋を囲みました。比内鶏とふっくらしたキリタンポはもちろん、肉厚なマイタケと見事なセリは香り高く、さらに懐かしい白神山水のペットボトルが入っていました。すべてが地域で守り育てられた食材。農を生業とする地域の環境保全の姿勢が見て取れます。日本にはこのような地域が各所にあり、農業を継続するため、地域を活性化するために努力を重ねていますが、悲しいかな、限界に近い場所もあるようです。四季があり、多くの食材と水に恵まれている日本は、緑豊かな国土。地方の再生を強く念じます。
農地の減少は、担い手不足と農政の失敗が考えられます。さらに、住宅と町並みの変化は、専門家や行政、私たちが日本文化の継承を重要視してこなかった結果でしょう。その象徴が都市集中・東京一極集中だと思います。効率優先で都会にはますます人・金・物が集まり、地方はますます衰退してゆく。東京五輪決定は、その流れに拍車をかけることが危惧されます。
この13年間は、通信手段の変化に翻弄され、助けられてきました。当初は実習の当日連絡は固定電話のみ。FAXもない方もいらして、実習前日・当日の朝は自宅電話にしがみついていた気がします。携帯電話が徐々に広まり、パソコンへのメールもボチボチ、現在はほとんどの方が携帯電話を持ち、メールでもやり取りができ、連絡が本当に楽になりました。インターネットの発達は社会に画期的な変化をもたらしたと、小さな事業やっていても痛切に感じますが、それがもたらす弊害、子どものいじめや若者のネット依存など心が痛みます。ゆるゆると事業を続けてきましたが、私たちが置かれている社会状況といつも向き合ってきたことは確かなようです。
(2013年11月 「田舎の学校」代表 田中直枝)
3月半ばに桜が咲き、その後の寒さに強風。身体の調整が難しい春でしたが、このところやっと安定してきました。前回も書きましたが、露地野菜の植え付けタイミングがますます難しいようです。
工場で生産されたレタスやトマトがカフェやレストランのメニューに顔を出します。都会の胃袋を賄うには工場生産品も必要でしょうが、「野菜の味がしない!」と感じることがあります。オランダは野菜生産のIT革命に成功し、ヨーロッパの大生産地になりました。温度・湿度・光・養分など徹底してデータ化し、効率化して野菜(主にトマトとパブリカ)を工場製品にしました。
そういえば、ヨーロッパで出された食事にはトマトとパブリカが必ずありました。日本でもトマトやイチゴなどのIT栽培が始まっています。
しかし、人のエネルギーの根幹は穀物で、日本では米です。水田のIT化が可能なら耕作放棄水田の再生が可能になる、そんな未来を描きたいです。
農業に企業が参入しやすくなり、異業種が農業経営に携わっています。農業がビジネスとして成りたち、グローバルな展開も必要でしょう。一方、キメ細かい繊細で高品質な作物栽培こそ、日本の農業とも言えます。
日本の農業技術が非常に高いのは、研究熱心で勤勉な農家が全国にいるからです。篤農家の技術が若い世代に継承され、日本だけでなく、開発途上国の農業振興に役立つことを願っています。
事務所の移転に伴い、新しいコンセプトをもった講座が登場します。講座を企画する視点が違えば、別な楽しみの発見へ繋がります。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
(2013年5月 「田舎の学校」代表 田中直枝)
東京では珍しい雪景色が続くこの冬です。ブロッコリー、白菜、大根などは「冬になるスイッチ」を入れる前に12月の急な寒さで生長できないまま、畑で凍りついてしましました。9月が暑くなって播き時・植え時のタイミングが10年前に比べてはかりづらくなっている上に、急激な寒さ、路地野菜栽培はますます難しいと感じます。
町田の里山再生を会員の方々と取り組んで6年あまり、その中心である谷戸の田んぼが今年も実りました。水田の機能が安定して「田舎の学校」の役割も終わり、これからは大谷さんを中心に残られた会員さんたちがこの里山を保全して行くでしょう。山間部と人の住む集落の間にある地域―田んぼや雑木林からなる場所が里山とよばれます。山間部を生活圏とするサル・イノシシ・クマなどが集落まで出没し、畑を荒らす被害が国中に広がっています。これは、干渉地帯の役割をしていた里山の手入れできずに荒廃してきたことが大きな原因と言われます。町田の里山に関わって、人の手が入ることの重要性を改めて感じました。そして何よりも、作業する私たちを支えて下さった大谷さんの母上様に感謝です。
「田舎の学校」の講座は『農』『住』をコンセプトに展開してきました。先日、『技の継承―京町家の再生を通して―』というシンポジウムに参加しました。京都の町並みを彩り町衆が住んできた町家が取り壊され、現代住居やビルなどに建て替えられていく現状を「これで良いのか?」という思いから始まった、町家を保全・再生する活動が20年経ち、その手法はモデルとして各方面から注目されています。町家を保全することは、継承されてきた生活や技を壊さず、住みやすいように再生して行くこと。住み続けること・生活することが何より大切で、そこに文化の継承がなされるのではないか。パネラーの一人、茶道を続けたいために京町家を取得、再生して住んでいる英国人のD・アトキンソン氏の話。英国など欧州の町並みが美しいのは、開発に厳しく、文化をいかに継承していくかに重点が置かれているため。それに比べて日本は史跡ばかり目立つ。大事なのは住んで保全すること。英国の家・町並みを変えることへの規制は、政府・行政だけでなく、住民も参加して活動をしているそうです。
日本の住居はこの50年で壊され、開発されてきました。快適で便利な暮らし方を手に入れましたが、壊すということで伝承されてきた文化も共に失われたのではないでしょうか。里山などの農環境も、再生不可能の段階に来ている所があります。2011年の震災と原発事故、経済不況、日本はターニングポイントに来ています。私たちは歴史・文化を継承するために何を選択していくのでしょうか。
(2013年2月 田舎の学校代表 田中直枝)
8月は30度を超す暑さが続く夏になりました。畑作業が辛いこの時期は、夏野菜の収穫が嬉しい時でもあります。路地で収穫する野菜は新鮮で甘く栄養価に富み、購入するものとは一味違います。
6月に15年ぶりの海外旅行へ出かけました。ウィーン・カナリア諸島・イギリス南部と移動のある旅でしたが、異なる気候と風土文化を感じてきました。ウィーンは昼間は30度を超す日が続いていましたが、夜は緑に囲まれているせいか涼しい風が吹いていました。建物と公園とからなる街並み、日本の各都市に比べてこじんまりしていて、高層のビルも少なく、落ち着く町です。ウィーンからフランスを南下し地中海・ジブラルタル海峡・モロッコを通過して、大西洋に浮かぶスペイン領カナリア諸島のラス・パルマスヘ。降り立ってすぐに、ここは砂漠地帯と感じさせる樹木と花々。赤っぽい地面。「ああ異国だ!」と。ヨーロッパのリゾート地として有名で、ウィーンからの飛行機はヴァカンスを楽しむ家族で満席でした。島にはコロンブスがアメリカ到達の旅に出る時に祝福を受けた教会があり、市が開かれていて、南国の果物が並んでいました。
ラス・パルマスからマドリッドへ、マドリッドからロンドンへ、上空から眺めるスペインは乾いた土地と所々の緑と小麦(?)畑、乾燥と痩せた大地を感じさせます。以前アンダルシアを巡った時も、車窓からの眺めは、岩肌の山とヤギと所々に生えるオリーブの木の景色でした。
ドーバー海峡を渡ると緑豊かな島が目に入ります。イギリスです。ロンドンから南部のイースト・サセックスへ。童話『くまのプーさん』の舞台の森(アッシュダウンフォレスト)近くにある貴族の館を改造したホテルに宿泊しました。広大な敷地と幽霊が出そうな古い館は、外観・骨格はそのままに、内部もできる限り手を加えずにホテル機能が成されていました。部屋に辿りつくまで、迷路のような廊下と階段を通ります。広い庭は良く手入れされ、一番美しい季節に入っていました。少し不便でも心地良い空間は、今まで体験しなかったものです。マナーハウスと呼ばれるこのような宿泊施設は、規模が異なってもイギリスの所々にあるそうです。日本で城や大名屋敷がホテルや旅館になっている話は、知りません。石造りの建物と木造の建物の違いがあるとしても、歴史ある日本建築が宿泊施設として活かされるのは難しかったのでしょうか?
ロンドンは、中心部を出ると、すぐに低層の家屋が庭に囲まれて同じ形態で並んでいます。住人は不便かもしれませんが、街の景観は美しく、歴史と文化にきちんと向き合うイギリスの姿勢が伺われます。日本はというと、東京郊外や地方都市どこに行っても同じ、駅の周りには高層ビルとマンション、利便性優先・無秩序な街並み。かつての地域の文化歴史と特性を活かす町作りがなされてこなかったことに、憤りを感じることがあります。行政・ゼネコンや地方建設業者、建築家は日本文化と美をどうとらえていたのでしょうか? 以前ほど無茶苦茶な開発・建築は少なくなったようですが、これからの我が国の景観マスタープランに期待したいです。
(2012年8月 田舎の学校代表 田中直枝)
寒さで桜の開花も遅かった春でした。それに加えて、関東では大風や大雨、それに竜巻に見舞われ、気候の変化を感じます。
東日本大震災から1年が過ぎました。徐々に復興をしているようですが、若者がいなくなった地域の再興は難しいでしょう。ふるさとが失われていく姿を見るのはさぞ辛いことと、胸が痛みます。
今号では、若い農家の高橋健太郎さんとベテラン農家の星野直治さんに取材をしました。年の差は40歳以上ですが、農業への思いをお聞きして胸が熱くなりました。

星野さんと、筆者
私と星野さんとの出会いは、20年ほど前のテレビ取材を通してですが、懐の深いやさしさと聡明さは変わらず、今でも困った時には駆け込んでいます。高橋さんは、初めてお会いした時の不安そうな様子とは別人のように成長しています。その姿を見るのは嬉しいですし、若い人の育って行くスピードが羨ましくもあります。ずっと変わらないのが、周りから愛される彼の素直さです。

高橋健太郎さん
お二人を通して感じたのは、ベテランから若者へ着実に農業が継続されていることです。農地は、後継者や相続などの問題で減り続けています。都市の農地も減少していますが、消費者が隣にいることは、地方に比べて恵まれています。庭先直売・直売場・近くのスーパー・飲食店など、販路は様々です。地方の大産地からの仕入れより小回りが利くのが、市場や小売業者からすると便利だそうです。急な要請、少量の仕入れなどに細かに対応できるわけです。いろいろなことに挑戦できるのも、都市農業の強みかもしれません。
「田舎の学校」は農業環境関連の講座を企画運営して12年たちました。その間に農家、受講生、講師とたくさんの方々と出会いました。このところよく舞い込む野菜栽培の指導・管理の仕事には、家庭菜園実習やハーブ講座を長年受講されてきたベテラン会員さんたちのご協力をいただいています。野菜作りは、指導や管理ができるようになるまでに様々な農関連の勉強が必要となります。皆さん10年以上の経験を積まれた人たちです。お人柄も技術も申し分なく、安心してお任せできます。屋上やテラスでの作業は暑かったり風が強かったり、虫がいたり大変こともありますが、畑とはまた違った楽しさもあります。それぞれの担当圃場の野菜の生育状態や土壌状況の情報交換も、勉強になります。
「田舎の学校」流菜園作りのモデルがいくつかできるといいな、と思っています。
(2012年5月 田舎の学校代表 田中直枝)
この冬日本列島は寒さが続き、東京でも久しぶりに連続して霜や氷が張る朝を迎えています。20年前までは当たり前の寒さも、この10年の温暖化現象に慣れていた身体には堪えます。「冬はこんなに寒かったんだ」と。日本海側の豪雪、東北の被災地のことを考えて、せめて暖房に気を使うこの頃です。
あの地震から一年が経ちますが、目に見える復興ニュースがなかなか届きません。被災があまりに大きいために、取り残されていることが多いのでしょうか。やっと起ちあがった「復興庁」に期待しましょう。
しかし、福島原発禍は心に重く圧しかかって、晴れることはないでしょう。最終的に自然に還る技術が開発されない中、原子力発電はまだ神の領域だったのではないでしょうか。原子力発電のおかげで活発な経済活動と快適な生活を送っていた私にとって、原子力発電のことは忸怩たる思いがします。
東京はますます巨大化し、高層ビルがそびえ立つ地域が広がっているように思います。水平な建物は心を落ち着かせ、高層の建物は戦闘的になるとの話を聞いたことがあります。高層ビルは地震対策が取られているのでしょうが、地震の後はそれらを見上げると不安を感じます。
東京に一極集中した機能・経済・文化-これで良いのだろうかと長いこと思ってきました。そして、地方の再生に日本のこれからがあると考えてきました。
そんな時に、今回の震災です。地震で根こそぎ地域を失ったところは、歴史も文化の継承もむずかしくなるという悲しい現実があります。広がりすぎて散漫な東京に比べて、地方都市は特有な文化を育み守ってきています。今後はさらに地方が安定した生活が送れるよう、政府・行政・民間が真剣に取り組んでいかなければならないと思います。
この震災で、私の幼少時代・終戦後昭和20年から30年代前半のまだ日本が貧しかったころの生活のありようと、これから迎える少子高齢化日本の姿を比べるようになりました。これからの日本は、物質面では貧しくなりそうです。戦後は日に日に食料も豊かになりましたが、お腹を満たせばよい状況でしたから、肉は高級品でしたし、野菜は旬のものしかありませんでした。冬は根菜類とタクアンや白菜漬け、夏にやっとキュウリ・トマトなどが食卓にのりました。
今はいつでもサラダが食べられ、野菜工場で作られたレタス類があります。こうした野菜栽培は、輸送とハウス栽培に多くのエネルギーが必要になります。食料の地産地消ができるならば、余分なエネルギーを使わなくても生産から消費、ゴミのリサイクルが地域内で回っていきます。地域の適正な人口・生活できる産業・経済活動の規模、その規模がつかめれば地域の自立が可能ではないでしょうか。問題は中身ですが、私たちが求める暮らしは、少し不自由しても健康と安全が守られるならば「よし」とする。若い人たちの発想に期待しましょう。
この震災は足元を見つめた地道な暮らしを考え直すきっかけを教えてくれた気がします。
(2012年2月田舎の学校代表 田中直枝)
2011年は忘れられない年になりました。3月11日で時計の針がいったん止まり、それから生活のスピードが少し遅くなり、生きる方向角度が何十度かずれたように感じます。
私は戦後復興と共に生活を刻んできました。戦後の貧しさも高度成長も、バブルも近ごろの不況も、半世紀以上の歴史と共に生きてきたことになります。その歴史の流れは高い低いジグザグしていても、それでも一直線だったと思います。けれど3月11日でこの直線は切れてしまい、どう繋げばよいのか未だにわからず迷っています。
繋ぎたいこと―未来に残しておきたいこと―をひとつひとつ拾いながら繕っていくのかな、と考えています。
住居は人が生きていく上で大変重要です。この震災後もどこに住むか、どのような住居・住まい方にするかが復興の大きな要素をしめています。町をどう再生していくかは、そこに住む人々がどう暮らし、どのような共同体を望んでいるのか、そしてそれは未来にも続けられるものかどうか、関係者は英知を絞っておいででしょう。
「田舎の学校」の『住む・環境』講座では、農の風景、江戸東京・京都の町並み、近現代の住宅をテーマに、さまざまなところを訪れています。講師の話をうかがいながら巡っていくと、食を担う田畑と里山、祈りと祭りの場、庶民の家、商人の町、為政者により築かれた都市、など人々の暮らしが見えてきます。そこには日本の風土を活かした住まいがあり、町作りがあります。
私が幼少時に過ごした吉祥寺の街には、まだ畑や雑木林がありました。家の前の畑に崩れかけたお稲荷さんがあり、脇には立派な椿の木がありました。そこは絶好の遊び場で、祠に足を掛けて大木に登り周囲を見回したものです。なぜそこに祠があり椿があるか、その意味は秋山好則先生と里山の樹木観察時に学びました。その祠もいつの間にか畑と共に姿を消して、住宅になりました。
講座でうかがっている農家さんの敷地には、お稲荷さんがあります。家族の健康・豊作を祈ってきた歴史を感じ、心温まる思いがします。京町家を訪問すると、昭和の初めに建てられ、育った我が家に共通する懐かしさがあります。木材・土壁・廊下・建具など、経済や効率優先で捨ててきた物の価値を見直す機会を得ました。震災を機に、地域や人と人の繋がりの大切さを再認識し、切り捨ててきた物を呼び戻し再構築する、そんなことを考えながら歩み出したいと思っています。
(2011年11月田舎の学校代表 田中直枝)
東京のこの冬は久しぶりの寒さで、12月の畑では霜柱を踏んで作業をしました。2月になって、日増しに春の息吹が感じられるようになりました。私は井の頭公園や玉川上水を歩いて、季節の移り変わりを感じながら三鷹の新しい事務所に通っています。 生物多様性ということがしきりに言われます。地球環境保全には生物の多様性が重要で、国境を越えての取り組みが進んでいます。「生物多様性条約」は1992年に作られ、現在160の国と地域が参加しています。この条約には生物多様性の保全と持続のために、発展途上国へ先進国の資金と技術支援を行うことも盛られています。
日本は世界で群を抜いて動植物とも生物多様性に富んでいます。理由として、日本列島が大陸との分断と結合の形成過程を経て、生物の侵入と隔離― ナウマンゾウやイリオモテヤマネコなど―が繰り返されたこと、南北に細長く、亜寒帯から亜熱帯までの気候と四季があること、周囲を海に囲まれ起伏に富んだ複雑な地形であること、などがあげられます。さらに、氷河期の生物絶滅を免れたことなども、多くの生き物を育んできた理由です。特に今は日本の里山が重要視されています。稲作が水環境と生物多様性を育み、農地と周辺の人々の生活が多くの生き物に暮らせる場所を提供していることなどが注目されています。
都心を少し離れれば、私たちの周りには里山の風景が見られます。秋山好則先生と武蔵野の里山を歩いていますが、人々の生活と農をとりまく雑木林に草花。集落には必ず神社仏閣があり、そこには樹齢何百年の樹木があります。私はいつまでたっても樹の名前が覚えられない落第生ですが、この散策は心静まる大切な時間になっています(4/24に自然観察歩行会があります。8ページ目ご覧下さい)。
少子高齢化は、山村地域を疲弊させています。村おこし事業が疲弊した山村を救うことになるのか、地域再生のベンチャー起業を試みる若者たちが地域で生き続けることができるのか、未知数です。
日本の資産は優れた技術力ですが、生物多様性も世界に誇る財産です。山村に里山、日本全国にある多種多様な動植物、これらを活かした事業があちこちで生まれたら、また日本も輝きを取り戻すのでは。日本全体と各地の生物多様性文化をバラバラにして組み立てる、この繰り返しの中に光が見えるのでは、とこの頃思うのです。
(2011年2月 田舎の学校代表 田中直枝)